『ローマの休日』や『ティファニーで朝食を』など多くの名作を残したオードリーヘップバーン。
そんなオードリーヘップバーンですが、女優として活動を引退して以降はユニセフの親善大使となり、多くの紛争地域へ訪れました。
その理由としては過去の幼い頃の経験が元になっているわけですが、今回はオードリーヘップバーンの最期。
また死因についてまとめつつ、オードリーヘップバーンの晩年の活動を踏まえつつ、紹介をしていきます。
【オードリーヘップバーン】過去の経験から新しい夢を見つける
オードリーヘップバーンは1990年4月6日に公開された映画『オールウェイズ』を最後に女優としての活動に幕を閉じています。
そんなオードリーヘップバーンですが、離婚など色々な困難を経た後はスイスの小さな村へ引っ越し。
そして、静かで穏やかな生活をしていたある日。
リビングのソファーで食べ残したチョコレートを食べていたときに過去を想いだしたと言います。
幼少期に軍人さんがくれたチョコレートを思い出した
オードリーヘップバーンは幼少期の頃は食べるモノもなく、困っている時代。
その時にオードリーヘップバーンを助けてくれたのが1人の軍人さんでした。
軍人はオードリーヘップバーンにチョコレートをくれたようで、少女時代に多くの大人に助けてもらった記憶。
そんな記憶を思い起こしたオードリーヘップバーン。
自分自身も子供を助ける存在になりたい。
そして、オードリーヘップバーンはそう考えて以降の5年間に50回以上の貧困な国を訪れたと言います。
そんな活動は多くの人の心を動かし、ユニセフへの寄付は数倍に増えたようです。
私たちは生まれながらにして愛する能力を持っていますが、他の筋肉と同じように鍛えて発達させなければなりません
こんな名言があるオードリーヘップバーンですが、人を愛するコトに人生の残りの時間を使っていきます。
【ソマリア】オードリーヘップバーンに病魔が襲いかかる
オードリーヘップバーンに病魔が襲ってきたのはソマリアに居たときだったと言います。
突然、尋常ではないレベルの腹痛に襲われたオードリーヘップバーン。
その腹痛が治まった後に、オードリーヘップバーンは1992年10月にLAで精密検査を受けることになります。
その診断の結果、オードリーヘップバーンが聴いた病名がコチラ。
そして、オードリーヘップバーンの死因となった病気でもあります。
オードリーヘップバーンの死因とは?
オードリーヘップバーンが亡くなった原因となったのがガンです。
1992年12月1日にオードリーヘップバーンは腸閉塞という病気を患い、手術をしています。
その際にオードリーヘップバーンは全身にガンが転移しているコトが発覚したのです。
そして、余命3ヶ月であることがオードリーヘップバーンに告げられたわけですね。
【オードリーヘップバーン】LAからスイスへ
余命宣告を受けたオードリーヘップバーン。
そこで治療を諦め、スイスに戻って残りの人生を過ごすコトを決意します。
しかし、オードリーヘップバーンがいたのはアメリカのロサンゼルス。
当時、手術を重ねていたオードリーヘップバーンにはフライトが耐えられずに、スイスに帰れない状況になっていたと言います。
そんなオードリーヘップバーンを助けてくれたのが長年の友人のジバンシイでした。
プライベートジェットでスイスへ帰郷
ジバンシイはプライベートジェットに生命維持装置&医療スタッフを完備し、オードリーヘップバーンを迎えに行ったのです。
その結果、オードリーヘップバーンは無事スイスへたどり着き、自宅へ。
そこからは自宅で別れを告げる準備が出来たといいます。
そして、1993年1月20日の夕刻、彼女は自宅で眠るようにして亡くなりました。
まとめ
オードリーヘップバーンの死因について紹介をしていきました。
オードリーヘップバーンはスイスへ戻った後に自分たちの子供や知人に自分が大切にしていた私物を贈ったと言います。
また、これまで生きてきた中で最も幸せだったクリスマスだったとも語っており、オードリーヘップバーンが最期の時間を幸せに過ごせたコトがわかりますね。
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